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聖書人物に学ぶ「人間の性」
性は生にして聖に通ず
同性愛についての資料と牧会的の指針
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聖書人物に学ぶ「人間の性」
このコーナーの趣旨
  1. 合体だけならロボットでもできる〜アダムとエバ
  2. 人類初の一夫多妻〜レメク
  3. 人類初の同性愛と近親相姦〜ノアの一家
  4. 性を防波堤とした自己保身〜アブラハム
  5. 不妊カップルの悲しみ〜アブラハムとサラ
  6. 更年期後の苦笑〜サラ
  7. 祝福された高齢者の性〜アブラハムとサラ
  8. 滅ぼされるべき性〜ソドムの住民たち
  9. 手段を選ばぬ子孫存続〜ロトの二人の娘
  10. 胎内での生存競争〜エサウとヤコブ

  1. 政治的に利用された女性の性〜イサクとリベカ
  2. 古代社会における性の商品化〜ラバン
  3. 古代社会のバイアグラ〜恋なすび
  4. 男を黙らせる女の性〜ラケルのずるさ
  5. レイプ事件と報復行動〜ディナとヤコブの息子たち
  6. 奔放な性による祝福喪失
  7. 性行為の中に入り込んだ偽りとは?
  8. 目的は手段を正当化するか?近親売春による妊娠
  9. 古代社会における上司女性による男性部下に対してのセクハラ
  10. 据え膳食わぬは男の栄誉じゃ!
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レイプ事件と報復行動〜ディナとヤコブの息子たち

「レアがヤコブに産んだ娘ディナがその土地の娘たちを尋ねようとして出かけた。すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは彼女を見て、これを捕え、これと寝てはずかしめた。」(創世記34章1,2節)

 ラバンの下を去ったヤコブ一家はカナンの地、シェケムという町に到着します。そして、そこに土地を買い求め定住を始めます。しかし、安住の地を見出したかに見えたヤコブ一家に悲劇が待ちうけていました。
 ヤコブの娘ディナがその土地の族長の息子シェケムに乱暴をされたのです。シェケムはディナに心ひかれ、父ハモルにディナを嫁に迎えるよう願います。古代社会においてはこのようなレイプ婚は決して珍しいものではなかったようです。やがて、御互いの父親どうしの交渉となり、ハモルとヤコブという族長どうしの話し合いが始まります。単に御互いの子弟の結婚にとどまらず、今後は御互いが縁を結び、将来的にはひとつの民となることを提案します。

  聖書を読むなら、ヤコブはこの時ある程度冷静であったように思われます。しかし、ヤコブの息子たちは、妹を汚された事で大きな怒りを覚えていたようです。この事件当時、ディナは13〜15歳であったと思われます。いかに古代社会での婚期が早かったとはいえ、この年齢を考えると兄弟たちの怒りの強さは予想がつきます。
 そこで、ヤコブの息子たちは悪巧みをします。割礼を受ければ妹を嫁がせてもよいと条件を出します。そこで、ハモルとシェケムは町中の男性に割礼を受けさせました。割礼の三日後となり、傷が痛んでいる頃、ディナの直接の兄であるシメオンとレビが町全体を襲い、すべての男子を殺してしまいます。さらに、ヤコブの子どもたちはその町を略奪しつくしていったのです。

  一レイプ事件の報復としては明らかに行き過ぎです。シェケムの犯した罪に対しては当時の司法制度の中で、損害賠償か何かの形で罰を与える事もできたはずです。多分、それではシメオンやレビの怒りは治まらなかったのでしょう。怒りにまかせて町中の男子を殺し、略奪をしたことは、ひとつの罪に対してさらに大きな罪をもって応答した事を意味します。これは、神様の民たる者が決してしてはならないことのはずです。また、神様の民としての契約の印である割礼を、敵を欺く手段として用いた事も神様の前に問われるべき罪でしょう。
  この事件の後、ヤコブ一家はその残虐行為の故にこの地に住む事ができなくなってしまいます。罪に対して罪で報復をしていたのでは、結局、まことの平和も正義も実現する事はありません。彼らは「平和をつくる者」でも「義に餓え渇く者」でもありませんでした。故に「幸いな者」でもなかったのです。

 ある書物に「レイプは性の世界におけるファシズムである」と表現されていました。個人的には、実に的確な表現であると感心しました。レイプとは個人の性的自由を一方的に奪うわけですから、その行為を「ファシズム」と呼ぶのは当然でしょう。
 しかし、私は今回の聖書箇所を読み、レイプとは「性の世界におけるテロリズム」と表現する事もできるなあと思いました。自らの欲望を絶対視し、その実現のために相手の自由を侵害するばかりか、暴力的な手段に訴えるからです。
  そのような被害にあった女性自らやその家族はどうすればよいのでしょうか?レイプもセクハラも痴漢行為も申告罪ですから、被害者自身の申し出がなければ、加害者が法的に裁かれる事はありません。そこで被害者側の泣き寝入りに終る事が少なくないようです。
  一方、被害者女性が男性の友人に依頼し、リンチなどの形で報復をするというケースも聞いた事があります。これはヤコブ家と同じ発想だと言えるでしょう。いずれにせよ、女性に対する性犯罪が法的に正しく裁かれていないという現状は大変残念なことです。

 第二次大戦中の事です。ナチス率いるドイツ軍がフランスに侵入しました。理性を失ったドイツ兵たちは、その土地の女子修道院を襲い、集団レイプに至ったそうです。そして、その結果、何人もの修道女が身ごもってしまいました。彼女らはカトリックの教えに従い、その子どもたちを生み出したのです。ドイツ兵に罪があっても、与えられた命には罪がないのです。彼女らがとった判断と行為、それは真理にかなうことでしょう。しかし、現実に性的な自由を侵され、傷つきながら命を宿し、生み出していった修道女たちの心の内を思う時、言葉では言い表し得ない葛藤を覚えます。
 命が死を支配する祝福、愛が罪を覆い尽くす恵み、自由がファシズムに勝利する素晴らしさがここにはあります。しかし、それを実現する為には、その命がいかに豊かでなければならない事でしょう。その愛がいかに深くなければならない事でしょう。また、その自由がいかに強いものなければならないことでしょう。

 性の世界においても政治の世界においても、報復によっては真の平和も正義も打ち建て得ない事は私たちの多くが承知していることです。聖書はそのことを繰り返し描き、人類の歴史はそのことを何度となく経験してきました。そのことを思います時、私たちは、ここに描かれたレイプと報復行動の中に、人類が福音と神様の恵み以外によっては決して克服し得ない自らの罪性というものを見るのではないでしょうか。
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