男を黙らせる女の性〜ラケルのずるさ
「ラケルは父に言った。『父上。私はあなたの前に立ち上がることができませんので、どうかおこらないでください。私には女の常のことがあるのです。』彼は探したが、テラフィムは見つからなかった。」(創世記31章35節)
創世記31章に入るとラバンとヤコブの関係が悪化します。現代流に表現すれば、ヤコブの弱みに付け込み不当労働行為を重ねてきた雇用者ラバンに対してヤコブがついに切れたのです。いかにも人間的に見えるこの出来事の背後には明確な神様の導きがありました。31章の3節でヤコブは「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい」と主からの語りかけを受けているのです。その後、夢を通してより明確な神様からの導きをいただいたヤコブは、いよいよ神様からの帰国計画を決行します。妻子と共に家畜と財産をすべてもって、ラバンに知らせずに逃亡を図ったのです。この時、ラケルは父ラバンのテラフィムを盗み出すのですが、これが後で大問題となります。
その三日後にヤコブが逃げた事がラバンに知らされます。ヤコブの持ち出した富の正当性を認めたくなかったのでしょう。ラバンは身内の者たちを率いてヤコブの一行を追いかけます。そして、ついに追いついた時、神様が介入されたのです。神様はラバンに夢を通して「事の善悪を論じないように」と命じられました。強欲の固まりラバンもさすがに神様を畏れたのでしょう。逃亡も許可し、ヤコブの私有財産も基本的に認めました。しかし、ラバンは「私の神々」と彼が呼ぶテラフィムを盗まれた事には抗議をしました。
テラフィムとは偶像の一種のようですが、それは相続権に関して重大な意味を持つ物だそうです。もし、ヤコブがテラフィムを所有しているなら、将来、ヤコブはラバンに対して財産の相続を主張する権利があることになるわけです。ラケルが父のテラフィムを盗んだのは、将来の相続を期待しての事でしょう。
しかし、ヤコブの正当な財産さえ惜しがっているラバンがそれを許すはずがありません。ラバンはまさか自分の実の娘がそのようなことをするとは思っていなかったのでしょう。犯人はヤコブであると確信して、ラバンは盗まれたテラフィムを求めてヤコブ、レア、そして、そのはしための天幕までも探し続けます。
ここで見つかっては大変です。その中で、真犯人ラケルが思い付いた証拠隠滅作戦は卑劣この上ないものでした。ラケルはテラフィムを取って、らくだの鞍の下に入れ、その上に座ったのです。ラバンはラケルの天幕も隅々まで探し回ったのですが、当然見つかりません。ラケルは父が自分の身の回りも探すかもしれないと予想したのでしょう。「らくだの鞍の下を探させてくれ」と言われる前に先手を打ったのです。
それが今回の冒頭の御言葉です。「女の常の事」とはもちろん月経のことです。女性に「月経のために立ち上がれない」と言われれば、男性はなかなか強制する事はできません。これを出されると男は弱いのです。自分にはよくわからない世界なので、強く出られないようです。ラケルは多分のそのことを知っており逆手に取ってのでしょう。これは女性として卑怯千万、女性の自ら、自分の性を卑しめる行為であると思います。この「女の性で男を黙らせる」という作戦は大成功を収め、テラフィムは見つからなかったのです。
そこで何も知らないで無実の疑いをかけられたと信じているヤコブが「逆切れ」です。ヤコブは20年にもわたる不当労働行為の数々を挙げながら激しくラバンを非難します。そして、今回のことも神様からのさばきであるとヤコブは主張します。もはや、ラバンには反論の余地がありません。彼はようやく自らの非を認めたようです。そして、長年にわたる敵意を廃し、ヤコブ一家とラバン一家は和解の契約を結ぶ事となります。
思い返せば、私も教員時代はラケルの被害にあった覚えがあります。私が勤務していた高校は男女共学でしたから、女性の性と向かい合う場面も多々あったわけです。そこでは、女子高生たちがラケルのように「女の性で男を黙らせる」という卑怯な作戦を繰り広げます。
水泳の授業が嫌いな女子生徒たちの一部が性を利用するのです。プールに入りたくない生徒たちは、授業を見学にするために虚偽の「生理」申告をするのです。当時、学校では体育の授業を見学授業にする為には生徒手帳に理由を記入し、担任の印をもらって初めて許可されることになっていました。ですから、担任をすれば、女子生徒たちが時々生徒手帳をもって職員室にやって来ます。大方の生徒は「体調不良のため見学させて下さい」と記入します。「体調不良とはどうしんだ?」などと決して尋ねてはなりません。察してやらなければ生徒がかわいそうです。
しかし、中には「体調不良」を理由に水泳の授業をサボろうとしていると思われる生徒もいるのです。当然、怪しいと疑うのですが、女性の性の前に男は黙ってしまうのでした。「お前、本当か?」とはなかなか言えないものです。特に独身の男性教師は手も脚も出ません。「お前、先週も見学だったじゃないか」と問うなら「私、生理不順なんです」と答える生徒もいる始末。ほとほと手を焼いてしまいました。
しかし、そのような苦労も一年限りでした。次の年からは「見学した分の授業は夏休みに補習として行う」というシステムが確立し、ラケルたちの作戦は終りました。水泳の授業だけに「水の泡と消えた」ということでしょうか?
女性の敵は女性だと言われます。もちろん、社会は女性をその性の故に保護する義務があります。しかし、女性たちが性を自己保身や男性をコントロールするために用いるなら、それは女性自らが、自身の性を卑しめる事はないでしょうか?
|