古代社会のバイアグラ〜恋なすび
「さて、ルベンは麦刈りのころ、野に出て行って、恋なすびを見つけ、それを自分の母レアのところに持って来た。するとラケルはレアに、『どうか、あなたの息子の恋なすびを少し私に下さい。』と言った。レアはラケルに言った。『あなたは私の夫を取っても、まだ足りないのですか。私の息子の恋なすびもまた取上げようとするのですか。』ラケルは答えた。『では、あなたの息子の恋なすびと引き替えに、今夜、あの人があなたの一緒に寝ればよいでしょう。』」(創世記30章14、15節)
創世記30章には、ヤコブの二人の妻であるレア(姉)とラケル(妹)の凄まじいまでの夫争奪戦が描かれています。ヤコブは元々ラケルを愛していました。しかし、ラバンの策略でレアが最初にヤコブと結ばれます。その次にラケルが結ばれるわけです。
レアの立場に立てば、同情せざるを得ません。父の策略の犠牲となり、なおかつ、夫の愛はラケルの方にあることが最初から分かっているのですから。29章の31節によれば、主は、ラケルより愛されることの少ないレアをあわれまれました。そして、その胎を開き、長男ルベンを与えました。レアは子を得た事によって、今度こそ、夫の愛を得られると喜んだのです。その後、姉のレアは、シメオン、レビ、ユダを産みました。それから彼女は不妊となります。
一方のラケルは不妊で苦しみます。4人の男子を出産した姉に嫉妬します。彼女は夫、ヤコブに女奴隷を与え、それによって子どもをもうけます。そこで、4人を出産後、不妊となったレアも、女奴隷によってヤコブに子をもうけます。女奴隷たちは、二人の妻の代理戦争をさせたれたのです。
そのような壮絶な夫争奪戦の中、レアの長男であるルベンが恋なすびを見つけます。そして、今度はこの恋なすびをめぐって、また妻どうしの争いが始まるわけです。しかし、私たちの多くは、この恋なすびが激しく奪い合うほど価値のある事が分かりません。そもそも恋なすびとは何なのでしょうか。
私が持っているチェーン式の聖書の脚注には次のような説明があります。「パレスチナ南部の至る所に見られるナス科の植物で、根は朝鮮人参のように二股状になり、地中に深く入っている。花は濃い紫、果実は小さいトマトほどで、オレンジ色または赤みを帯び、5月頃成熟する。一般に性欲増進、受胎力増進の薬効があると信じられている。」
これでなぞが解けました。恋なすびとは性欲増進作用を持つ薬効植物だと言うのです。まあ、「古代社会におけるバイアグラ」と表現したら分かりやすいでしょうか。なりふりかまわぬ夫争奪戦は、双方の奴隷による代理戦争を経て、遂に薬物に頼るまでになったのです。
15節に書かれているレアの言葉の冒頭に「あなた(ラケル)は私の夫を取っても」とあります。どうも、レアは子ども産まなくなってからは、夫ヤコブから性的に放置されていたと想像できます。夫に相手にされてないレアが息子から恋なすびを得た時、考えた事はひとつです。恋なすびを利用して夫を床に誘い込もう、そして、再び身ごもって夫の愛を我が物としようと策略したのでしょう。
しかし、それを知ったラケルが予想外?の行動に出ます。一度も自ら身ごもった事のない彼女は、なりふりかまわず受胎力増進作用のある恋なすびを得ようとします。大胆にも、ライバルであり、姉でもあるレアに堂々と恋なすびを分けるように要求します。当然、レアは怒ります。夫だけでなく、恋なすびまで奪われそうになっているのですから。そこで、何としても恋なすびを得たいラケルは、最大限の妥協を払っての取り引きに出ます。レアが夫ヤコブと一夜の関係を持つ事を交換条件に恋なすびを渡すように提案します。夫の疎遠であったレアは交換条件に応じます。
さて、この恋なすびをめぐっての夫争奪戦はレアとラケルのどちらに軍配が上がったでしょう。それは17節に書かれています。「神はレアの願いを聞かれたので、彼女はみごもって、ヤコブに5番目の男の子を産んだ。」
何と、恋なすびを得たラケルでなく、それを譲ってヤコブと一夜を過ごしたレアの方が身ごもったのです。聖書は「神が」レアの願いを聞かれたと示しています。その求めの切実さに神様が応答されたのでしょう。
一方のラケルもやがて初めての我が子を産みます。22節に「神はラケルを覚えておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた」とあります。不妊であったラケルの胎を開かれたのは恋なすびではなく、主御自身であったのです!
レアとラケルの妊娠はどちらも、神様の顧みによるものでした。どうも、性と命という領域に関しては、神様がそれを祝福するというのが聖書の原則のようです。人間の智恵による工夫や策略などは、その前にはあまりにも無力であるかのようです。神の領域にあることを人間の力でどうにかしようとする発想がレアとラケルにあったのではないでしょうか。二人は真剣に神に性と命の祝福を祈りながら、実際には恋なすびに執着していました。
さて、時代は下って21世紀初頭の日本です。ストレス社会に生きながら、性欲減退に悩む男性たちの間では、バイアグラが大変な話題になったようです。性科学者の先生方によれば、性行為はストレス解消になり、命の実感を得るという心理的な作用があるそうです。恐るべきスピードで変化し多様化し続ける現代社会にあっては、いよいよ充実した性生活が必要だと言えるでしょう。
だからと言ってバイアグラなる薬物に頼るのは、あまりに安直なように感じるのは私だけでしょうか。夫婦の心の絆を強めるとか、会話を充実させるとか、そういうメンタルな部分や関係性に着目した方法論が優先すべきではないかと思うのですが。
そして何よりも、クリスチャンの方々はレアとラケルの試行錯誤に学ぶべきでしょう。人間的な工夫や方法ではなく、神御自身が性の世界を祝福される事を忘れてはなりません。充実した性生活を願うクリスチャンである男性諸氏は、やはりバイアグラに頼るより主に切実に祈り願うべきでしょうね。
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