更年期後の苦笑〜サラ
「アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。それでサラは心の中で笑ってこう言った。『老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。』」(創世記18:11-12)
3人の旅人がアブラハムたちを訪問します。18章の2節では、3人のはずが、10節ではヘブル語本文では主語がなく単数形扱い(新改訳では「ひとりが」)になっており、13節では「主が」と明示されています。三人の旅人が主なる神御自身の顕現であることに気がついてゆくアブラハムの心の動きが描かれているようです。この旅人たちが訪問した目的の一つは、サラが約束の子を身ごもることを告げることでした。
その宣言を、聞いたサラの反応が冒頭の御言葉です。約束の御言葉と自分たち夫婦の現状とは、あまりにもかけ離れたものでした。二人は老人であり、サラすでに更年期を過ぎており、受胎能力は全くありませんでした。「何の楽しみがあろう」とは、二人には以前のような性生活がなかったことを予想させます。「それに主人も年寄りで」という言葉も、アブラハムが既に男性としての生殖能力を失っていたことを暗示しているようです。
夫婦が共に老いており、既に生殖能力を失い、通常の性生活もないのです。どうして、この夫婦間に子どもが期待できましょう。いくら、サラが古代人とは言え、そのような超自然や非科学的な可能性を信じる訳には行かなかったのです。いくら神様の御言葉だとしても、サラは笑うしかなかったでしょう。
サラは心の中で笑ったに過ぎませんでしたが、神様はその内なる思いを見逃しませんでした。13節から15節において、神様はサラの内なる笑いを「不信仰の笑い」として指摘し、悔い改めさせようとしました。神の全能の力とその可能性を人間の理性や限界のなかにとどめることは叱責に値するということでしょう。
この時のサラの苦笑は、神様ご指摘の通り不信仰の笑いです。しかし、同時に、それは神様の言葉の荒唐無稽さへの笑いでもあり、「自分はもう女性でない、もはや約束の子どもを産み得ない」という自虐的な笑いでもあったでしょう。私などは、サラの心情を察するに、更年期を迎えた女性の複雑な心境を垣間見てしまうわけです。
話しはかなり強引に現代の女性たちに移ります。聖書の記事からは飛躍するのですが、現代の日本女性たちは更年期を迎えた時、果たして笑っているでしょうか?それとも泣いているでしょうか?
私が愛読する「性の風景」(読売新聞社)には、更年期を迎えた女性たちの様々な思いが記されています。この本によれば、欧米の女性は閉経を恐れるのに対し、日本の女性は「女からの卒業」を喜ぶ傾向が強いとのこと。「やっとお勤めから開放される」「晴れて夫にノーが言えと」喜ぶ女性が非常に多いそうです。サラは更年期を悲しみながらも、苦笑しましたが、日本女性の多くは心から笑っているようです。ある産婦人科医によるアンケート結果では、「更年期後、夫婦関係が疎遠になった」と答えた方が約6割、「親密になった」と答えた方は1割にも満たなかったそうです。
一人のルポライターは、欧米とは正反対のこのような結果について次のように結論づけています。「それまで性についてじっと耐えてきた妻からの夫への性的な仕返しではないかと思い当たった。」つまり、更年期前までの夫側の態度が問われているのです。思いやりがなく、一方的で、自分の欲望達成だけを目的とした、特に暴力的な性における態度が、このような結果につながっていると考えるべきでしょう。「相手を思いやる」「自分の意志を明確に告げる」という性における基本姿勢がある程度定着している欧米社会との相違は当然のことと言えます。
何年か前、地下鉄の駅に厚生省発行のパンフレットが並んでいました。その一つに「更年期後の性生活の手引き」というようなタイトルのものがありました。それによりますと、「更年期後こそ、女性は妊娠の不安なく喜びに満ちた性生活を送れる」と更年期を積極的に評価していました。「女性として性の喜びは更年期後にこそある」と言わんばかりの勢いです。更年期にありがちな性交痛対策なども書かれており、感心していました。この点に関して私などは、厚生省の味方をしてしまいますが、読者の皆さんはいかがでしょうか。
性は命を生み出すことだけが目的ではありません。神様が人類に性をお与えになった目的は生殖以外にもあるはずです。神様は「人がひとりであるのは良くない」(創世記2:18)という理由で異性を造られました。性は人類の孤独を解消するための神様からのプレゼントです。性は生殖のためだけでなく、夫婦が愛し合う交わりの手段として与えられたと考えるのが聖書的でしょう。聖書的な観点からも、命を生み出し得ぬ「更年期後の性」をもっと正しく評価したいものです。
今回は、サラの更年期後の笑いと日本女性の更年期後の笑い、その強引な比較検討でした。
|